一般人の姉の話 1
※このお話には複数の病名が出てきますが、
その症状をお持ちの方を批判する意味は一切込められておりません。
また、わたしには病気の知識はありませんので、
このブログに書いてあることを鵜呑みにはせず、
あくまでもただの個人の実体験だと割り切って頂けると幸いです。
これはわたしの、弟に対する幼い頃の懺悔と、
大人になった今の感謝の気持ちを綴ったものです。
わたしには2つ歳の離れた弟がいます。
彼は生まれつきアトピー・アレルギーを持っていて、乳製品を一切口にすることが出来ませんでした。
そしてのちに、注意欠陥多動性障害であり、ADHDであることがわかるようになります。
現在、弟は少しだけ名の知れるプロゴルファーになり、
テレビやニュースにもたまに出て、ファンがつくようになりました。
わたしが5歳のとき、弟は3歳。
卵料理が食べたくても、弟が食べられないので、母親は作ってくれません。
弟の体はアトピーのせいか、皮膚が爛れ、常に痒いのか、いつも体を掻きむしっています。
そんなある日、ふと弟が乳製品を口にしてしまいます。
詳しいことは覚えていませんが、救急車を呼ばれたような覚えもあります。
また違う日は、車のおもちゃを片手に、
癇癪を起こした弟は、おもちゃで窓ガラスを叩き割りました。
針で縫うほどの怪我でした。
弟はわたしを「お姉ちゃん」とは呼びません。今までも、今でも。
昔からわたしに対する敵対心が強く、
わたしがピンクのものを欲しがると、同じものを欲しがります。
女の子用の可愛いおもちゃも真似をして欲しがります。
それが凄く嫌でした。
いつからか、弟は周りの子に馴染めず、孤立するようになりました。
小学校で無視されたり、はぶかれたり。いわゆるいじめです。
わたしもまだ子供だったので、詳細は覚えていません。
時が経たずして、弟は小学校に通わなくなりました。
そこから、姉弟仲は悪くなる一方でした。
弟とは平気で殴り合いの喧嘩をしました。
まだ小学生です。勝つのは姉のわたし。
不登校で、人付き合いも出来なくて、役立たずの弟が、憎くてたまりませんでした。
それなのに、アトピーとアレルギーのせいで、両親は弟につきっきり。
食べたい卵料理も、やっぱり食卓には出てきません。
卵料理を食べたら死んでしまうような弟。
健康なわたし。
わたしは、あれが欲しいとかこれが食べたいとか、自分の意思を伝えて両親を困らせないように、
いい子にならなければと思うようになりました。
(今思うとそれなりにわがままな子供だったと思いますが…)
小学生に上がる頃から、わたしはストレスで太り始めました。
周りの子が女の子らしいお洋服を着るなか、1人だけ男物のジーンズとTシャツ。
いじめとまではいかなかったけれど、同級生に、デブだとか、そういう言葉を言われたような気がします。
けれど、ストレスを忘れるためには食べるしかなかった。
食べて、食べて、ついに、弟との喧嘩でも、
デブやブスと言われるようになった。
わたしは弟が大嫌いだった。
死んで欲しいとすら思った。
当時の幼いわたしにそのような感情があったかはわからないけれど、
大人になったわたしが昔を振り返ったとき、そのような感情が浮かんできます。
いつだったか。
わたしが小学校6年生、弟が4年生。多分そのくらい。
相変わらず学校に通わない弟。
近所の野球チームに所属していたが、やはり馴染めず、トラブルを起こしてやめたらしい。
周りの子とは違うと感じた母親が精神科を受診させた。
弟はADHDだと、診断された。